開城(ケソン)工業団地企業協会のある関係者は8日「開城工業団地が事実上機能を止めることになった」と語った。 彼は 「北韓が全員帰れと言ったので、明日韓国に戻る人々が開城工業団地要員全体の3分の2を越えるだろう」と話した。
匿名を要請した企業協会の別の関係者も「キム・クァンジン国防長官が人質救出を云々して北を刺激したのが開城工業団地事態の悪化に決定的な影響を及ぼしたようだ」と話した。 これに先立ってキム長官が3日「もしもの事態が起きれば軍事措置とともに万全の対策も用意されている」と話し、北韓<朝鮮中央通信>は4日付で 「南側で‘大規模抑留事態発生と人質救出対策を云々し、事態を極度に険悪に追い込んでいる。 (中略)開城工業地区から我が国の勤労者たちを全員撤収させる断固たる措置を取ることになるだろう」と警告した経緯がある。
開城工業団地を事実上閉鎖した北韓の今回の措置で、開城工業団地入居企業は直ちに倒産を心配しなければならない大混乱に陥った。 すでに大企業・中堅企業などの注文が取り消されている。 最も大きな問題は今の時期に秋・冬服の注文を受けなければならない繊維企業たちだ。 これら企業は入居企業123社の中で比重が最も高い(72社・58.5%)。K入居企業代表は「数日間にわたり出入りが制限され、結局 B業者から注文を取り消すと今日通知が来た。 注文を海外に回すと言っていたよ」と話した。 N入居企業代表も「繊維衣類業は春・夏ファッションと秋・冬ファッションに合わせて2回注文を受ける。 秋・冬衣類の注文を3月末か4月初めに受けなければならないのに、まだ注文がない」と語った。 電機電子業種のユ・某代表も「電機電子業者はもちろん、他の業種でも注文が減っている。 この事態が続けば入居企業が枯死するほかはない」と話した。D入居企業代表は「数年間、困難の中でも政府から数億ウォンの貸し出しを受けて工場を稼動してようやく注文を回復したが、もう何も方法がない」とため息をついた。
北韓の進入遮断が6日目に入り開城工業団地の稼動中断企業はこの日基準で計19社に増えた。 開城工業団地企業協会関係者は 「今日から稼動中断企業が幾何級数的に増えている。 この数を数えること自体が無意味だ」と話した。 また別の関係者も「進出企業の大量倒産に備えて政府が資金支援などの対策を用意しなければならない。 納品期限を合わせることができず大規模な違約金を払わなければならない会社については誰が責任を負うのか」と反問した。
この日午後、開城工業団地から人員39人、車両21台が南側に戻り、現在残っている人員は内国人479人(外国人4人を含む)だ。 生死の岐路に立たされた開城工業団地入居企業らは、9日ソウル汝矣島(ヨイド)の中小企業中央会に集まり工業団地通行正常化を促す記者会見を行うことにした。
坡州(パジュ)/キル・ユンヒョン、イ・ジョンフン、イ・スンジュン記者 charisma@hani.co.kr
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開城(ケソン)工業団地はどんな所?
123ヶ企業で5万人余りの勤労者
生産 4兆7千億規模に成長
開城(ケソン)工業団地は破綻状況に達した南北関係と経済協力の最後の希望だった。
現在100万坪規模である開城工業団地が碇を上げたのは2000年8月に現代と北韓、アジア太平洋平和委員会が開発合意書を締結してからだ。 韓国政府の全面的な支援を受けて2003年6月に工業団地造成に着工した後、開城工業団地は3度にわたる北韓の核実験、2008年パク・ワンジャ氏襲撃事件による金剛山(クムガンサン)観光中断、2010年3月天安(チョナン)艦沈没、2010年11月延坪島(ヨンピョンド)砲撃の時にも、浮沈はあったが着実に操業してきた。
2005年に18社の企業が進出して1491万ドル(約164億ウォン)の物品を生産した開城工業団地は2012年末現在で123社の企業が4億6950万ドル(5164億ウォン)を生産する規模に成長した。 現在、工業団地の勤労人員は5万4234人(韓国勤労者786人を含む)だ。 韓国企業らは月100~150ドルの安い労働力を活用して国際競争力を確保できた。
開城工業団地は経済効果だけでなく南北関係の改善に象徴的な役割を果たした。 北側は6・25戦争(訳注:朝鮮戦争)当時、南への侵略経路である平野地帯を工業団地として渡し、このことが西部戦線の軍事的緊張を緩和する結果につながった。
キル・ユンヒョン記者 charisma@hani.co.kr